気分と定めるクオリティ
自分が楽々出来ることが才能です。
まじかーって思うと1回目は楽々できるけれど、
2回目になると重くなってくることってなんなんだろう。
クオリティを求めるようになるととっても重くなるよね。
1回目をやり遂げた私という私にたいする期待よね。
1回目出来たから簡単じゃん!じゃなくてさ、2回目も同じクオリティで持続していくことが難しいってすごく思うわけ~~!
だってさ、1回目は方法論とか無視して思うままにやってるの、
だけど回数を重ねるとそういうわけにもいかないでしょう。
そうすると、1回目より2回目の方が重くなる。
って書いてて、気づいたんだけど、それって絵でもやってるじゃん!って。
1回思うように描けたらさ、2回目も同一のクオリティを求めるの。
あの頃の絵柄を思い出してよ!描けたじゃん!描けたじゃん!ってね。
だけど1回目それを描いた私はさ、それを描きたい気分だったわけ。
思いのままにやってたんだよーー!って。
だけど2回目は楽しかった思いのままじゃなくなってしまう。
でもこの思考ってさ、同じような絵を描けないと漫画が成立しなくなってしまうっていう考えからきてるなってちょっと思った。
あとさ、仕事でも、このクオリティを出せますよって重さ。
そんなのやってみないと提供できるか分かんないよ。
あの時はだって気分だったんだもんって。
こないだは出来たけど、今は出来ないし、過去を求められたって出来ないもん!
違う私だから。
だったらさ、毎回やるたびに初めての気持ちでやるのって良いよね。
言語化してみたらさ、確定するのの重さってこれかーーー!!!って明確に私の中で分かってしまった。
いつもどんな時もさ、本当に出来るかは分かんないし。
出来なかったら謝っとくかって思えば良いじゃんね。
そう思えないからお金をもらって私はこういう人ですって担保することに物凄い重さとプレッシャーを感じてしまっていたのね。
意識した途端に普通が普通じゃなくなるってそういう感覚なのかもしれない。
こういうことを提供できます!
って自分の価値観を決めた時にさ、そうじゃなくなったらどうしようってすごく怖いよね。だって明日の私はそれを価値観に置いていないかもしれないじゃん。その定まらなさにとてつもない恐怖を感じたり何かしてさ。
今日のこのブログも、今日はこういう文体で書いているだけで、明日はもっと固い小説みたいな文体を書きたいかもしれないでしょう?
ありのままであるって、何ででもあるってことなのかなーって思った。
そういうことに気づけただけでもラッキーなのかもしれない。
そう思うと、小説ってやつを生まれて初めて書いてみるかとか、イラストってやつを生まれて初めて描いてみるかってそんな気分になるのかもしれない。
いつもゼロから始める私!!!!!そしてそれでうまくいく私!!!!!!
そして、これを書き終えて気づいたことがある。
謎に人間関係楽になったのってこの過去を追うことを止めたのが起因している!
持続する関係性への執着をなくした。
あるのは今しかない、全てが初めましてだから、嫌な時は嫌で過剰に接しないし良い人ぶらない、だけど、相手のことが大好きな時は思っているままに大好きを贈る。
嘘偽りない、自分の中の一致を目指してのことだったけど驚きの気づきを得ていたな~~
はぴね~す♪